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あっちのブログ

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スピリチュアルじゃないもん 〜幸せになる勇気 第1部の感想・まとめ〜

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今更ながら幸せになる勇気を読みました。

正確にはオーディオブックで聞きました、近頃音声化してたので。本と同じ価格の1620円なので超お得ゆえ。
さっき見たら前作セットで同額(2016年11月現在)。両方をフルプライス買った私涙目。2つで単行本1冊と同じ1620円、ずるい。でもお得。

前作「嫌われる勇気」を読んだ時、人生観を揺さぶられるくらい衝撃を受けたので、さすがに2発目はないだろと期待してなかったのですが、予想以上の衝撃でした。

何が衝撃だったのか? と言われると全く説明できない。非論理に直感で生きる脊髄動物なので。
でも人にも進めたい、仲間を広めたい。

というわけで、まとめようと。

で、まとめてみたものの、思いが強すぎてまとめと感想文がミックスされた乱文のできあがり。
それぞれの部で乱れた作文を書き上げてから、まとめたい。

第1部 悪いあの人、かわいそうなわたし

第一部の目次

  • アドラー心理学は宗教なのか
  • 教育の目標は「自立」である
  • 尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
  • 「他者の関心事」に関心を寄せよ
  • もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら
  • 勇気は伝染し、尊敬も伝染する
  • 「変われない」ほんとうの理由
  • あなたの「いま」が過去を決める
  • 悪いあの人、かわいそうなわたし
  • アドラー心理学に「魔法」はない

第一部は、のちの部のベースとなる考えを説明している箇所と思われます。
哲学であること、人間への尊敬、目的論など、前提がないと説明しにくいことが後に続くためです。

順を追って見てみます。

アドラー心理学からスピリチュアルな匂いがする

まず、アドラー心理学のジャンルはなんなんだ?です。

「科学」か「宗教」か?

この本はこのテーマから始まるのですが、このことが意図していることは、「アドラー心理学は宗教じゃないよ」ということをアピールしている、 逆に言えば「そういう前提がないとスピリチュアルに捉えられる話が始まるよ」もしくは「前作が宗教扱いされてるので払拭したいよ」と受け取りました。
私はスピリチュアル好きエンジニアなのでいいですが、基本的にはそういう匂いは一切受け付けない人がいるので、この前置きは必須でしょうね。

そもそも科学とは?

まず、科学は反証可能性を持つ、つまりは証拠をもって間違っていることを証明できる、ということです。「ダウト!」と言えるのが科学の性質の一つなんですね。 フロイト、ユング、アドラーなどの心理学や哲学は、反証可能性を持たないので厳密な意味の科学とは言えません。

それゆえ狭義にも捉えられる科学という言葉は使わず「アドラーの心理学は哲学である」と言っています。 科学は学問であるといったような広義な解釈だと、心理学も哲学も科学に含まれるので、アドラーの心理学は科学ではない、という考えを否定することになります。

じゃあ宗教と哲学の違いは?

違いの前に共通点は、人間の心に踏み込んでいく、というところです。 出発点が、私たちはどこにいるのか、どう生きればいいのか、ということも共通です。

わかりやすい違いは「物語の有無」です。 宗教は、神を主人公として世界を説明します。絶対的なという存在があり、それを真理として全ての事象を語るのです。

一方、哲学は、物語も真理と言える答えもありません。抽象的な言葉で人や世界を説明します。 哲学は学問というより、自問自答を続ける、「生きる態度」です。

アドラーも自身の心理学を「更新され続けるもの」としています。止まることのない、まさに哲学ですね。

ということで、アドラー心理学のジャンルは哲学です。

尊敬とは? その第一歩は?

そして哲学の定義の話の次は、教育とは?という話になります。

まず、「カウンセリングは再教育の場」とアドラーは定義したと書いてます。

さらには、

 教育とは、「介入」ではなく自立に向けた「援助」

であると。

つまり、

 教育=カウンセリング=自立の援助

ということになります。

じゃあ「自立」とは何か?

その答えば最後の第5部で明らかになります。 ネタバレなので、辞書に載ってる定義そのまま「援助も支配もなく一人の力だけで物事を行うこと」とでも。

逆に教育のスタートも明示してます。 教育の入り口は尊敬であると。

教育だけでなく、あらゆる対人関係の入り口もまた尊敬であるとあります。

結局「尊敬」とは何か?

哲学なので回りくどく定義の話ばっかりですが…。 社会心理学者エーリッヒフロムの言葉を2つ用いてます。

「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」 「尊敬とは、その人がその人らしく成長発展していけるよう気遣うことである」

私も青年同様「尊敬とは自分もうそうありたいと希うような憧れにも似た感情」と考えていたのですが、 それは恐怖であり、従属であり、信仰です。とバサッサリ切り捨ててます。

「尊敬」の第一歩は何か、「他者の関心事」に関心を寄せる。 もし尊敬を始める対象が、公序良俗に反するようなウェブサイトを見ているとしても、そこに関心を寄せるのです。 卑猥な動画サイトを推奨するのではなく、それを見る対象に関心を寄せます。 「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」つまりは「共感」であると。

昨今、「共感」はブーム的に加熱したので歪んだ解釈を生じてると思ってます。 Facebookの「いいね!」などです。本では「「わたしも同じ気持ちです」と同意することは単なる同調であって、共感ではない」とバッサリ書いてます。 「共感とは他者に寄り添うときの技術であり態度です。」とも書いてます。 これには、「プログラミング言語や簿記のように身につけることができる技術なのか、じゃあ共感の教科書くださいよ!」と全く共感力のない頭が叫びました。切実です。

まとめると、

    あらゆる対人関係のスタートが尊敬
    教育のスタートは尊敬、ゴールは対象の自立
    尊敬のスタートは、同調ではない共感という技術
   共感のスタートは、他者の関心事に関心を寄せること

ですね。

じゃあ尊敬のゴール、つまりは対人関係のゴールは第5部で出てきます。
まぁ答えは「共同体感覚」なるものですが、その解釈が後で出てくるってことで。

ともかく、他者の関心事に関心を寄せることから始めましょう。
あなたは何に関心がありますか? 私はそれに関心があります。(ドヤ顔)

変わりたいのに変われないのは?

第一部の最後、目的論の話になります。
アドラーの個人心理学は目的論という考え方を基本にしている、とあります。
フロイトの精神分析学は逆に原因論ありきです。

  • 原因論
    • 過去の出来事、トラウマなどの原因によって現在の言動がある
    • 例:家庭環境が悪いから暗い性格になった。家庭環境という過去が原因。
  • 目的論
    • 現在の言動には、そこに隠された目的がある
    • 例:他者と関わることで傷つきたくない、という目的があり暗い性格を選択している。

個人的に熱いと思ったのは、過去の完全否定の部分です。

「われわれの世界には、本当の意味で過去など存在しません」
「歴史とは時代の権力者によって改善され続ける巨大な物語」
「人間は誰しもが「わたし」という物語の編纂者でありその過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えていく」
「人は過去に起こった膨大な出来事の中から、今の目的合致する出来事だけ選択し、意味づけを施し自らの記憶としている。今の「目的」に反する出来事は消去する」

これは私の好きな、仏教、スピリチュアル本などで散々言われてきた「今ここに生きる」という概念そのもの。 非科学な分野との共通点が出てくるため、本の冒頭で「アドラー心理学は宗教ではない」としたのでしょうかね。

過去は物語、今の正当性を保つためのフィクション。 現在の科学では証明する手段がないので反論を生みそうなところですが、物語があると宗教になるので哲学としては過去は除外して考えるのが良さそうです。

最後、第一部タイトルの「悪いあの人」「かわいそうな私」について。 カウンセリングで悩みなど過去の話を語るとき、「悪いあの人」「かわいそうな私」のどちらかの話しかしないそうです。 またカウンセリングでは、面にこの2つのことを書いた三角柱を使うそうです。今話していることはどちらかを視覚化するためでしょうね。 三角柱の残りの一面は何か?

「これからどうするか」

後ろの過去を見るのではなく、前のこれからのみを見る。本では「ドーン!」っという効果音が聞こえそうな表現でした。私も読んでて、その衝撃を受けました。 カウンセリングは教育、教育は自立の支援、それには過去は捨てて進む道を、ということでしょうね。

過去は幻の物語、じゃあどう生きるか。

前作「嫌われる勇気」では、「今を踊るように生きる」とありました。過去を理由にライフスタイル(マインドセット、性格とか暗黙的決意)を持ち続けるのでなく、 今、刹那ごとにライフスタイルを選び、自分のありのままを楽しむ、という意味合いだと思います。

林先生の「今でしょ」が刺さるのは、過去に生きている今に生きたい、といのが潜在的にあるのかもしれません。(思い込み解釈)

ともかく、目的論からすれば「人は過去を原因とするから変われない」ということになります。
現状を保持することが目的なのです、変わるのが怖いから。だから変われない。

過去は存在しない、未来も見えない。 できるのは今の選択だけ。今だけで生きたい、心底。それが難しいことも知っています。それでも。

まとめ

というわけで第一部は、哲学、教育と尊敬、過去についての議論でした。

もー、本の入り口から自我がグラングランしました。私は現状を保持するために必死なのですな。
このクズのような性格でも、傷つかないための目的があると。

過去を捨て今目的を変える、これが自分を変えるためのファーストステップですね。
目的を変えることを決断すれば、つまり幸せを選ぶ決意をすれば、共感→尊敬→好ましい人間関係→幸せ、と踏み出せます。

幸せの定義はラスボスよろしく最後の第5部です。その途中にも自分をどう変えるかのヒントが盛り込まれてます。
とりあえずは、第2部のまとめへつづく。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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