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あっちのブログ

普通じゃないを普通に、あっちをこっちに

愛されるよりも? マジで? 〜幸せになる勇気 第5部の感想・まとめ〜

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前回の続きです。

岸見先生著のアドラー心理学本「幸せになる勇気」のまとめとは名ばかりのなぐり書きの第5回になります。

第5部 愛する人生を選べ

目次

  • 愛は「落ちる」ものではない
  • 「愛される技術」から「愛する技術」へ
  • 愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である
  • 人生の「主語」を切り換えよ
  • 自立とは、「わたし」からの脱却である
  • その愛は「誰」に向けられているのか
  • どうすれば親の愛を奪えるか
  • 人は「愛すること」を恐れている
  • 運命の人は、いない
  • 愛とは「決断」である
  • ライフスタイルを再選択せよ
  • シンプルであり続けること
  • あたらしい時代をつくる友人たちへ

人生のタスクは3つ。第4部でその2つ、「仕事のタスク」「交友のタスク」を解説しました。 第5部は、ラスボス「愛のタスク」について語り締めます。

「愛」とはなんなのか?
なんかタブー感やら、きはずかしいような、何を語っても結論がない膨大さのなような、それを把握するあきらめのような、そんなオバケのような抽象概念であります。

ともかく、アドラー心理学的視点において、即答できるようになるようまとめてみます。

おのずと、「人生とは?」「幸せとは?」 についての答えもついてくるはずです。

いろいろな愛

一般的な愛

アドラー心理学での愛の前に、一般的な愛のまとめです。
分けて考えるためにも、並べてみています。

  • 神の愛
    • 崇高にして汚れを許さない、相手のことを神格化するような愛
  • 動物としての愛
    • 性的欲動に駆られた愛
  • 生物学的な愛
    • 自らの遺伝子を次代に残さんとする愛

一般的な愛は、このいずれかを軸にしたものと考えられます。
一方アドラー心理学での愛は、神でも動物でもない「人間の愛」であるとしています。

アドラーの言葉を引くと、

愛とは、一部の心理学者たちが考えているような、純粋かつ自然的な機能では無い

だそうな。

「愛とは、〜〜ではない」と言っているだけで「〜〜である」とは言ってませんが、一般的な愛と分けるためにも定義の一つとして抑えておく必要がありそうです。

愛を語るのは恥ずかしい

なんで恥ずかしいんでしょうね、愛を語る時って。
わたしみたいな、ニヒルなハードボイルドで生きている、というか社会不適合ですみっこぐらしの中年にとっては特に。

本では以下のような考察をしています。枝葉の話ですが、愛を語る上で気に留めたいです。

  • わたしのプライベートの部分だから
  • 制御不能の衝動であり、無意識の働きだから

つまるところ、「ありのままのわたし」をさらけだすのは嫌だ、ということですかね。
「自信が無い」とかその辺ともリンクしそうです。

愛の建築

さて本題。 目次にもあるように、愛は「落ちる」ものではないと。

ではなんなのか? 愛について本の中の哲人は、こんな言葉で語っています。

愛を意志や努力の枠外にあるものとして直視していない。「愛すること」をしていない
 
「落ちる」だけの愛なら、誰にでもできます。意志の力によって、何にもないところから築きあげるものだからこそ困難
 
(「恋に落ちる」ことは)本質的には物欲と同じ
 
(愛は、)能動的な愛の技術、すなわち「他者を愛する技術」
 
愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。
 
青年「ふたりで何を成し遂げるのですか?」
哲人「幸福です。」

定義がちらばってますが、要は愛は技術の一つ、二人で幸福を築きあげるものだと。 愛の大工たちが幸福のサグラダファミリアを建築するんですと!

だからこそ神秘的でもなく動物的でもない人間としてのテクノロジーだと。

愛を語るのが恥ずかしいのは、技術が乏しことを露呈するから、ということもあるかもしれません。

まぁ「愛するの上手?」みたいなこと言われても習った事ないですしね。

こりゃもう、建築専門学校の横にでも愛専門学校を作るしかない。

愛の主格

ここで人生の3つのタスク=人間関係を振り返ります。

  • 仕事のタスク
    • 利己的な「わたしの幸せ」を突き詰めた分業の関係。結果として誰かの幸せにつながる。
    • 幸せターゲット:わたし
  • 交友のタスク
    • ひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度。すなわち「あなたの幸せ」で貢献感を得る関係。
    • 幸せターゲット:あなた
  • 愛のタスク
    • 二人で幸せを築き上げる関係。すなわち、不可分なる「わたしたちの幸せ」を気付きあげる技術。
    • 幸せターゲット:わたしたち

愛のタスクは、「わたし」や「あなた」より上位のものとして「わたしたち」を掲げてます。
2人でひとつです。合体です。

確かに、結婚すると戸籍上も分けられない同一格ですね。生物的にも合体しますし。(卑猥)

「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せでは満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。

2人でひとつ、主格を「わたし」から「わたしたち」にして幸せ築く。
確かに意識しないと気づけない難しい行為です。

わたしはどこ?

第5部の中盤、『自立とは、「わたし」からの脱却である』の章以降の話なんですが、私はこの辺りがこの本で一番衝撃を受けました。

これまで出てきた伏線が回収され、ぼやかされていた定義がババン!と明らかになるからです。

一つは「自立とは?」。これは第一部の伏線です。といっても章のタイトルに出てきていまっています。
「わたし」からの脱却である、と。これはどういうことか? それが明らかになります。

まずは、愛と幸福の関係性。

それではなぜ、愛は幸福につながるのか? 愛が「わたし」からの解放だからです。

まったく理解できません。どういうロジックか?

世界の中心で愛を叫んだ獣

赤ちゃんのころを含めた子供の時代、これを黄金時代と本では呼んでいます。

どういうことか?

赤ちゃん時代、一人では生きていけません。そのため「弱さ」を武器として大人を支配します。

甘えやわがままで泣いているのでは無い。生きるためには「世界の中心」に君臨せざるをえないのです。

「オギャー」と泣きわめき、母乳を欲する。命に直結した生存スタイルなのです。

それゆえ、

われわれはみな「愛されるためのライフスタイル」を選択する

のです。

私もあなたもこの「自己中心性」を選んできたと。欲しいものが思いのまま、まさに黄金時代。

「わたし」という「世界の中心」で「愛」してもらうために「叫ぶ」。

ハーラン・エリスン著「世界の中心で愛を叫んだ獣」というタイトルが深く刺さるのは、この辺を暗喩として引っかかるからかもしれません(名作の題名を出せばかっこいいと思っているだけ)。

大人の階段

結局、なぜ「わたし」からの解放が幸せにつながるのか?

まず、「すべての悩みは対人関係である。」と同時に「幸せも対人関係にある」という前提。

どういった対人関係か?

もう一つ前提、幸せには「人生のタスク」をこなす必要があると。
つまりは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」。

タスク=対人関係。
ということは、仕事の関係、交友の関係、愛の関係であると。

仕事の関係、交友の関係だけの幸せでは満足できません。
愛の関係でなければならない。

愛は自立です。大人になる事です。

愛=自立。

先にあったように、自立とは「わたし」=「自己中心性」からの脱却である。

「自己中心性」は、子供の時に選んだ愛されるための世界観=「ライフスタイル」。

ゆえに、幸せのためには、愛されるためのライフスタイルを捨てなければならない。
その人生最大の決断をしなければならない。

すなわち、

幸せになる勇気=愛する勇気=自立する勇気=「わたし」という愛されるライフスタイルを捨てる勇気

なのです! これが最終結論。

なんということでしょう…。 「わたし」を捨てることが幸せだとは。

わたしたちは、幸せじゃないか、幸せじゃないかを自分の意思で選べます。それも今。
幸せを選ぶことは、黄金時代の子供のころから築いてきた「わたし」との別れ、つまり、概念的には死ぬ勇気なのです。

子供の階段と大人の階段は別もの。 子供の階段の延長線上に大人の階段はないのです。
「いかに愛されるか」という技術のステップである子供の階段を上がっても大人にはなれない。その先に幸せはない。
子供の階段を飛び降り、愛する技術のステップである大人の階段を登る。その先に幸せがあります。

愛のゴール

では、愛のゴールはどこか? アドラー心理学ではかなり枠をはみ出たアクロバティックな見解となります。

愛の一般的な概念だと、恋人やら夫婦同士2人の関係が深まっていくイメージです。深化というか。なんとなく曖昧です。

アドラー心理学の見解はそうではない。

哲人「たったふたりから始まった『わたしたち』は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていく」
青年「それが…」
哲人「共同体感覚です」

なんと、アドラー心理学の鍵概念の一つである「共同体感覚」は2人から始まる愛の究極形態であったのです!

「わたしたち=2人」の愛

「わたしたち=組織」の愛

「わたしたち=社会」の愛

「わたしたち=人類」の愛

「わたしたち=地球」の愛

「わたしたち=宇宙」の愛

「わたしたち=過去現在未来すべて」の愛

すなわち、「わたちたち=共同体」。
これがゴールです。

いよいよ宇宙と一体化してしまいましたが。ここは賛否両論のところでしょうね。

マザーテレサは「世界平和のために何したらいい?」と聞かれこう言いました。

家に帰って、家族を大切にしてあげてください

いきなり「世界を愛する」などと特別な存在目指す前に、まずは2人の人間関係に踏み出す勇気が必要でしょう。

お別れ

最後の章。もう頭がプスプスと煙をあげながら読みましたが、こう占めています。

我々は別れるために出会うのです。

われわれにできることはひとつでしょう。すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。

階段を選び直すということは、大決断が必要です。
しかし階段の一段目をあがる決意をしても、「なんでもない日々」が試練となります。
無条件の信頼、「愛される」ことを求めない、特別であろうとすること、「わたし」に戻らないこと。
そんな試練が次々と。

一緒に楽しみましょう、この試練を。

第5部 まとめ

以上、「愛のタスク」についてでした。

愛は自立であり、自立は「わたし」からの脱却である、と。 そして、愛は技術なのです。技術だから誰にでも身につける事ができるのです。

あなたはもう、愛の階段=自立の階段=大人の階段=幸せの階段が、今登っている階段とは別にある事を知ってしまいました。

あとはもう、今の階段を降りる勇気=あなたの「わたし」を捨てる勇気=愛する勇気=幸せになる勇気だけです。

幸せをとるか、幸せでないことをとるか。

あなたが選べるのです。

というわけで。これにて「幸せの勇気」のまとめは終了です。一切まとまってませんがね。

次回「嫌われる勇気」「幸せの勇気」を通した、アドラー心理学の統合したまとめを書いてみます。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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