前回の続きです。
岸見先生著のアドラー心理学本「幸せになる勇気」のまとめというか感想というか戯言の第3回になります。
今回は、第3部についてまとめた気になってみます。
第3部 競争原理から協力原理へ
第3部目次
- 「ほめて伸ばす」を否定せよ
- 褒賞が競争を生む
- 共同体の病
- 人生は不完全から始まる
- 「わたしであること」の勇気
- その問題行動は「あなた」に向けられている
- なぜ人は「救世主」になりたがるのか
- 教育とは「仕事」ではなく「交友」
第3部は、
なぜ褒めてはいけないか?
競争ではなく協力?
自立とは(2回目、より深い説明)?
救世主になって自分を救う?
について書かれてます。順を追って見てみましょう。
ほめられ競争
ほめてはいけない、っていのは親や先生、上司など教育者の常套手段なので簡単には飲み込めないと思います。 なんか不安になる大きさのカプセル薬みたいな。
まずは、そのロジックについての話となります。
なぜ、ほめてはいけないか?
いきなりですが、中盤のまとめを引用すると、以下のロジックになります。
- 子供を叱ってはならない
- なぜなら、叱ることは、お互いの尊敬を損なう未熟なコミュニケーションだから。
- 子供をほめてはいけない
- なぜなら、ほめることは共同体の中に競争原理を生むから
なぜ、競争を生むのか? なぜ競争はいけないか?
「競争を生む」ところをクローズアップすると、以下のロジックとなります。
- ほめられることを目的とするひとが集まる
- 他者がほめられたら悔しいし、自分がほめられたら誇らしい
- いかにしてリーダーの関心を独占するか、となる
- 共同体(教室や組織など人間関係)に「競争」が生まれる
なるほど、ほめられ中毒ですね。ほめられジャンキーの暴走行為だと。
そして「いかにほめられるか」も含め、あらゆる自分が認められるための勝負は、不正・媚び・嘘・妨害など手段を選ばなくなると。
そうなると確かに共同体が病んできますね。
ドラッグ同様に「ほめる」も、「ダメ、絶対!」
競争から共創へ、みたいなダジャレ
競争がダメならどうすればいいか?
他者と競争するのではなく、他者との協力を第一に考える。
協力原理に基づいて運営される共同体、これが民主主義的だと。 用語連発でわかりにくいので別の表現で、競争と協力を表すと、
競争原理は「縦の関係」、協力原理は「横の関係」
- 縦の関係
- 賞罰で強さや順位を競い合う
- すると、勝者と敗者が生まれる
- すると、上下関係が生まれる
- 他人の人生を不自由に生きることになる
- 横の関係
- 勝ち負けが存在しない
- 能力、成績、成果に関係なく、すべての人は対等
- 他者と協力することを第一にする
- これにより承認欲求から解放され、自由になれる
承認欲求と自由に関しての説明はこの記事の後半にでてきます。
ともかく自由、つまるは幸せのために協力するんですね。
自分の幸せ求めるんじゃ利己的なんじゃね?
と感じざるをえませんが、この辺の説明は第4部ででてきます。
ではなぜ、競争しないだけでなく協力が必要なのか?
人間の弱さが鍵になってきます。
人間なんて…
人間の弱さについていきなりまとめると、
- 人間はその弱さゆえに、文明、共同体を作っていった。自然の脅威の下でも生き抜くため。
- これは一人では生きていけないことを本能的に熟知している、ということ。
- だからこそ、他者とのつながりを求め続けてしまう。
- これは、すべての人には共同体感覚が内在している、ということ。
- すなわち、共同体感覚は「身につけるもの」ではなく「掘り起こすもの」だ。
ですって。 なんと、弱さからアドラー心理学の根幹である共同体感覚まで、ピタゴラスイッチ的に桶屋が儲かりながら、つなげています。
馬のように足が早ければ馬車を発明することがなかったし、自動車の発明もなかった
人間はこういった劣等感をいろいろと抱えています。泳げない、飛べない、等々。
単独では厳しい自然で生きていけないから、集団で生活し、仲間と協力して生活してきた、と。
だからこそ、協力の必要性は潜在的に知っている、だから協力していかざるをえないということですね。
いきなり共同体感覚の正体を明らかにしてしまっています。
大事なので、ここを掘り下げます。
エンドレス承認欲求
なんで、競争の離脱、つまり承認欲求の否定が共同体感覚に繋がるのか?
まず、アドラー心理学は承認欲求を否定します、なぜか?
承認欲求にとらわれた人間は、他者から認めてもらうことを願うあまり、いつの間にか他者の要望に沿った人生をいきることになる。
さらには、
承認には、終わりがない
から。つなげてみると、永遠に他人の人生を生きることになります。自由ではありません。
じゃあ、承認欲求レースから離脱してどうしたらいいか?
自らを承認するしかない
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」的に、「他人の承認がダメなら自分で承認すればいいじゃない」と聞こえます。
ちょっと待ってくださる、自分に自信が持てないから自分で承認なんてできないわ。
フランス貴族ですらそう思うかもしれません、少なくとも自分はそう思います。
これに対しては、
「普通であることの勇気」が足りていない
と。さらには、「その他大勢」としての自分を受け入れる意思を持てないから、自信が持てない、と続きます。
確かに「普通だね」と言われるのを恐れていますわ。これを超えるのは確かに勇気がいりますわね。
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く
この個人の尊重という価値の転換が、自信につながり、自分を承認できるんですね。
「♪ありの〜、ままの〜」
なんていうレリゴーな歌が流行ったのも、自己の尊重を潜在的に求めていたからかもしれません。(非論理)
補足しながらつなげるとこんな流れ
承認欲求の否定
↓
競争の離脱
↓
自らを認めていく
↓
自信を持てる
↓
他人を信じられる
↓
なんだかんだあって
↓
共同体感覚
承認欲求を否定して自分を認めることから、共同体感覚、すなわち幸せは始まるってことですわね。
「なんだかんだあって」はラストの第5部で明らかになるわ。首を長くして、首を洗って待つことね。
自分には自信がないけど、みんなを救う救世主になる!
本では、ここで教育話を一旦区切ります。
この本は哲人と青年のみの会話で成立しているのですが、ここで哲人が教育の問題ではなく青年の人生の問題であることを看破するからです。
哲人曰く、
他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人がしばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり一般に「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれています。
はーい、こんにちは!
「メサイヤ・コンプレックス」ユーザーです!
ここはもう、そんな風におどけないと立ち直れくらいの衝撃でした。
自分が生きづらいから自分の価値を見出せず、同じ生きづらい人の救世主になろうとしてました。
他人を救うべく、クリエイティブのコンサルとか肩書き置いちゃってるし。
どうすりゃいいんだ…。
哲人曰く、
いまだ幸せを実感できていない理由は簡単です。仕事、交友、愛の3つからなる「人生のタスク」を回避しているからです。
わたしゃ幸せになりたいんだ!
なんだよ人生のタスクって!
と、ここで第3部が終わっています。
CMの後で衝撃的展開が!と煽られている気持ちがほんのりします。
第3部まとめ
まとめると以下です。(本当は「です」なんて断定する自信はない、勉強中だ)
- 怒りや叱ることは、「尊敬」を毀損する行為
- ほめることは競争を生み、他者を敵とする
- しかることほめることは、「自立」を妨げる
- 承認欲求は否定、他者の人生を永遠に生きることになるから
- 「人と違うこと」ではなく「わたしであること」に価値をおき、自分を受け入れる
次は「人生のタスク編」です。いよいよアドラー心理学の深淵に近くなってきました。
怒涛の第4部につづく!

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